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第56回全国バス事業者大会 パネルディスカッション

東日本大震災に学ぶ、これからのバス輸送のあり方について

●パネリスト紹介

横浜国立大学教授   中村 文彦氏   第56回全国バス事業者大会の会場風景
国土交通省自動車局旅客課長   鈴木 昭久氏
交通ジャーナリスト   鈴木 文彦氏
中国新聞編集委員   山本 浩司氏
宮城交通㈱社長   大西 哲郎氏
広島電鉄㈱社長   越智 秀信氏

平成23年11月16日(水) ホテルグランヴィア広島にて

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【司 会】

ただいまより第56回全国バス事業者大会を開催させていただきます。本日の司会進行を務めさせていただきます、RCC中国放送アナウンサーの和佐由紀子と申します。どうぞよろしくお願いします。
それでは、まずは第一部でございます。第一部は「東日本大震災に学ぶこれからのバス輸送のあり方について」と題しまして、パネルディスカッションを行ってまいります。バス事業は、少子高齢化、それから環境重視の時代を迎えまして、国民生活に不可欠な公共交通機関としてその役割はますます重要になってきております。ところが、乗合バスの輸送需要は一時大都市部では持ち直し傾向が見られましたが、全国的には輸送需要の減少が続くなど、厳しさを増している状況でございます。こうしたなか、3月11日に発生しました東日本大震災では、バス事業が非常時におけるライフラインとして極めて重要な役割を果たしてまいりました。本日は6人のパネリストの方々にご登壇いただいておりますが、この後のパネルディスカッションではそれぞれのお立場からバス輸送の果たした役割と課題、それから今後のあり方などについてご討論をしていただくことになっております。なお、本日は公募によりましておよそ30名の市民の方が聴講におみえになっております。ようこそお越しいただきました。どうぞ最後までよろしくお願いいたします。それではパネリストの皆さまをご紹介させていただきます。

会場の皆さまから見てまずは左側より、
横浜国立大学大学院、都市イノベーション研究員教授の中村文彦さまでございます。先生は、都市交通計画、交通施設計画、開発途上国の都市計画などをご専門とされております。本日は中村先生にコーディネーターもお願いしております。よろしくお願いします。
・続きまして、国土交通省自動車局旅客課長の鈴木昭久さまでございます。鈴木さまは84年旧運輸省に入省され、航空局保安企画課長、総合政策局海洋政策課長、観光庁観光産業課長などを歴任され、本年10月より現職につかれていらっしゃいます。
・続きまして、交通ジャーナリストの鈴木文彦さまでございます。鈴木さまはフリーの交通ジャーナリストとして鉄道やバスに関する論文や取材記事を執筆される傍ら、地方自治体や事業者の地域交通アドバイザーとしてご活躍されておられます。
・続きまして、中国新聞編集委員の山本浩司さまでございます。山本さまは77年中国新聞社に入社され、報道部、国際部、大阪支社などを経て、現在は編集員として公共交通関連の問題についての解説記事を担当されていらっしゃいます。
・続きまして、宮城交通株式会社代表取締役の大西哲郎さまでございます。大西さまは78年に名古屋鉄道に入社され2007年宮城交通常務取締役、今年6月から代表取締役社長に就任され、現在宮城県バス協会の会長でいらっしゃいます。
・最後に、広島電鉄株式会社代表取締役の越智秀信さまでございます。越智さまは80年旧運輸省に入省され、中国運輸局自動車部長、大臣官房参事官などを歴任され、2009年に広島電鉄常務取締役、2010年より代表取締役社長に、そして今年6月より広島県バス協会会長に就任されております。以上6名のパネリストの皆さまでございます。それではこれからの進行につきましては、中村先生どうぞよろしくお願いします。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

横浜国立大学の中村と申します。本日のパネルディスカッションの進行をおおせ付かっております。よろしくお願いします。さきほど司会の方からもございましたように3月11日の東日本大震災は、我々日本の国民に対してこれから先の地域のあり方、あるいはその価値観などに対してもう一回考えなきゃいけない、そういう沢山の問題をつきつけていると思っています。そのなかで地域づくり、地域を支えていく大事なものとして交通というものがあるんですが、そこにおいてバスというものはどうだったのか、同じような規模の地震、想定を超えた自然災害、そういうものが起きた時にどうすればいいのかといった色々な課題があります。
 今日は全国バス事業者大会ということで日本の各地からバス事業者、行政の方々、一般の市民の方々にもご参加いただいております。これからの日本を支えていく上で、どういったことを考えていけばいいのかということに関して多面的な議論ができることを期待しております。本日のパネルディスカッションですが、震災のとき一体バスはどうだったのだろうか、ということをテーマにしてお一人ずつご報告、そして討論をいただきます。そのうえで、バス事業者として地域を支える担い手として何を考えるべきなのかというところに向かって、二巡目の議論をして2時間を過していきたいと思います。それでは最初に、この3.11の地震の直後から現地に入り、沢山取材をしていただいております交通ジャーナリストの鈴木文彦さんからお話をいただきたいと思います。

交通ジャーナリスト 鈴木文彦氏

みなさんこんにちは、今ご紹介をいただきました、交通ジャーナリストの鈴木でございます。私の方からまず最初に東日本大震災から今に至るまで、一体そのバスがどういうふうに対応し、役割を果たしてきたかというあたりを、現地に見てきた部分を中心にまずちょっとご紹介をさせていただきたいと思っています。
今、直後からというご紹介がありましたが直後は現地にあまり入ってもご迷惑になるかと思いましたので、だいたい3週間後くらいから比較的頻繁に被災地のほうに出向きまして、記録と取材をしてまいりました。なぜそういうことをし始めたかと申しますと、今回の東日本大震災の場合に、やはりその津波という未曾有の大被害があったことと、それに加えて原発事故がありました関係で交通に関する情報というのは非常に希薄でした。つまり、実際には現地でバスがきちんと機能し、一生懸命頑張っておられるそのことが、たぶんこのままでは世間に伝わらないのではないかなと、そういう危機感を私は感じまして、それでまずは現地に行って、きちんとバスが果たしてきたことを記録しておこうと、これが一つです。
それからもう一つはそういうものを通して、バスの大切さであるとか、あるいは今後バスがどういうふうに機能していけばいいのかといったようなことを、そういったなかからきちんと発信していくことが私の役割だろうと、そういうふうに思いまして、継続的にここにいらっしゃっている宮城交通さんにも色々ご協力をいただいたりしながら取材を重ねてまいりました。今回はまずはそういった写真映像を中心に、映像といっても動く映像ではなくて写真のほうを中心にですね、状況をご覧に入れながらコメントを少しはさんでいくようなかたちでご紹介をさせていただきたいと思います。尚、なるべく多くの状況を見ていただきたいと思ってそれなりの数の写真を用意してまいりましたので、ひとつひとつを細かく説明してまいりますととても時間が足りませんので簡潔にコメントをしながら進めさせていただきたいというふうに思います。それぞれポイントになる部分に文章をつけておりますが、この文章につきましてはみなさんのお手元に資料がいっていると思いますので、こちらも後ほどご参考にいただければというふうに思います。まずは交通の被害がどうだったかといったこところですが、東日本大震災が非常に広域の被害があったこと、それから先ほど申し上げた原発事故等の影響によりましてなかなか交通の状況というのが見えてこなかった部分があるんですけれども、交通被害の特性としてはこれまでにない幹線鉄道が非常に広域に被災をするといったようなことであるとか、特に津波の被害をうけたところでは、鉄道網がほぼ壊滅状態であるというようなことであるとか、あるいは仙台という大都市の都市圏交通が麻痺をすると、こういったような状況がありました。そのなかで比較的道路の被害、インフラ被害がそれほど大きくなかったこともあって、バスは比較的早く走れる状態になっていきます。さて、では、実際交通被害がどうだったかというところを少し見ていただこうと思いますが、鉄道は特に沿岸部ではかなり大きな被害となっております。写真で見ていただけますように、築堤や鉄橋がすっかり落ちてしまっている状況、あるいは津波に飲まれて列車も脱線をするといったようなことがありましたが、幸いなことに鉄道に関して乗客乗務員の被害はなく、不幸中の幸いというところでした。すっかり津波に飲まれてしまって線路もほとんど埋れてしまってよくわからない状況であったり、あるいは右側の写真は向かって左側が海になりますけれども、津波によって高架橋がなぎ倒された様子がこの倒れ方でよくお分かりになるかと思います。

 
津波被害により沿岸部の鉄道が壊滅状態に(JR気仙沼戦志津川ー清水浜愛だ)   津波になぎ倒された様子がよくわかる鉄道高架橋。トンネル内は無傷だが手前にある駅も流出(三陸鉄道島越)

バスにつきましても、これは宮城交通さんの子会社のミヤコーバスの気仙沼営業所ですけども、気仙沼の場合、津波が来た、それから地震による地盤沈下がありました。さらに市街地で、船から漏れたあるいは流された車から漏れた燃料などによって火災がおきておりまして、この三重の被害によりまして非常に大きな被害を受けております。また、かなりの数のバスが実際に流されたり、あるいは大破するといったようなことで車両そのものにも大きな被害が出ております。これは非常にセンセーショナルな光景であったと思いますが、石巻市の雄勝というところでは津波に流されたバスが公民館の2階上の屋根に乗っかってしまうというようなことで、津波のものすごさを後々まで伝えることになりました。これはそのまんま津波の被害のモニュメントとして残そうという話があったようですけれども、さすがにこの状態では危険だということと、それからバスの腐食がはじまっているということで、建物と共に壊すことが先日決まったようでございます。
このような大きな被害があったなかで、実際、被災したバス事業者の皆さん非常に頑張りました。その状況を少しお伝えしておきたいと思います。

 
津波・地盤沈下・火災で使用不能になり、半年たっても近づくことのできないミヤコーバス気仙沼営業所(6月)   津波に運ばれて2階建ての公民館の屋根に乗ってしまった南三陸観光の貸切バス(石巻市雄勝)

もう一つはバスに関しても、若干名の乗務員の方の殉職ですとかお客様の被害がゼロではなかったんですけども、全体からすれば非常に小さな被害で済んだのはやはり運行中の現場のみなさんのノウハウなり、非常時対応力というものに助けられた部分があったんだろうというふうに思います。
ひとつは、これは仙台市交通局の岡田出張所という所なんですが、営業所ごと全部津波に飲まれました。ここは、お見えになっている大西社長さんの所の宮城交通さんが受託している営業所なんですけれども、とっさの判断でバスを全部内陸のほうの営業所に乗務員の方が避難をさせました。また運行中の車両も全てお客さんを安全な所で降ろした後その別の営業所のほうに向かうということで、営業所がまるごと津波に飲まれたんですが、車両の被害は全く無く、その後の輸送に十分対応ができたという部分では非常にその現場の乗務員の方のまずバスを避難させるという、意志といいますか、そういったものが活きたものだろうというふうに思っております。その代わり乗務員の方の通勤用のマイカーが全部流されてしまって、その後の通勤出勤ができないというような状況があったようで、その後の出退勤には色々苦労されたお話を聞いております。
それからこちらは岩手県交通の大船渡営業所管内の高台にある操車場なんですけれども、津波の情報とともに管内を走っていたバスが全てこの操車場目指して避難しました。お客さんが乗っているバスもそのまま避難しまして、この操車場に十数台のバスが全部避難してまいりました。そのことによって、バスもお客さんもかなり助かったということがありまして、やはりその日常のそういった危機管理力あるいはこういう時のノウハウが非常に適切かつ強いものがあったことによって人命や車両を救うことができたんだろうというふうに思います。

 
岡田出張所を受託する宮城交通の従業員たちが車庫に残ったバスを内陸の霞の目営業所に全部避難させた   震災直後乗客を乗せたまま10数台のバスが一斉に避難した岩手県交通大船戸管内の立根操車場。高台の操車空間と危機管理力が人命を救った

これはやはり、日頃の危機管理力の賜物であろうというふうに私は思っております。その大船渡営業所ですけれども、ここもやはり津波に飲まれた地域にありまして、建物が使えなくなりましたので暫くの間はこのように廃車のバスを営業所の事務所の変わりとして使って、周りは何も無くなってしまっていますので、それこそ電気もガスも水道もないなかで非常にご苦労されて毎日の運行を担ってこられたというところでございます。
それからミヤコーバスの気仙沼営業所、先ほど被災した場所の写真をお見せしましたけれども、とりあえず市のほうから提供していただいた美術館の駐車場を仮設の営業所として使い、プレハブの営業所で運行管理を行ったわけですけれども、右側の写真を見ていただきますと、これたまたま私が行ったときに、地元の商店のほうから皆さんで飲んでくださいというふうにお茶の差し入れが届いていていたところです。こういうところを見ますと、やはり地域にとってバスというのは期待されているんだなということが非常によく分かります。で、当初広域の停電によって信号が止まる、燃料不足で限られたスタンドに車が集中するというようなことで、走行環境というのが非常に悪かったなかでの運行でした。こういったようなことを経て、当初の輸送を確保していったというところもきちんと伝えていかなければいけないころだろうと思っております。

 
周囲に人がいなくなったので電気もガス・水道も復旧していない劣悪な環境の中で懸命に地域の足を守る   営業所の建物が被災し廃車のバスを事務所代わりにして日々の運行を行う岩手県交通大船戸営業所(6月)

被災地においてはまずは避難であるとか緊急脱出といったような命を救う輸送からスタートということになります。次に最低限必要な生活のための足を確保すると、そういったようなことのなかで、地域とタイアップした輸送確保なども行われました。いずれにしても徐々に道路があくとともにバス路線が再開をしていくわけですけども、やはりバス路線が再開するということは非常にその地域の人達に安心とそれから地域の活力というものを与えてきたということは明らかであろうというふうに思っています。非常に大きな被害が出たなかで、まだ片付けもすまない中、道路が開いたことによってバスが走り始めました。やはり定期的にバスが街から来るということの意味というのは非常に大きなものがあったというふうに思います。地域の人のバスをみる目といいますか、たまたまこの右側の写真、ここのおばさんたちと私もちょっと一言二言話をしたんですけれども、やはりバスが来てくれたことによって、これからもここで生きていけるんだという、そういう印象を持ったというふうにおっしゃっていました。

 
津波と火災で大きな被害が出た町にも道路が開通するとバスが走り、地域に活力を与えた(山田町の岩手県北自動車)   復興の端緒についたばかりの市街地に路線バスが帰ってきた。地域住民の移動を支えたバス(山田町の岩手県北自動車)

この左側は岩手県の釜石市ですけども、ここは行政のほうもバスを十分に被災地の足として活用しようという考え方で、かなり緊密に行政とのタイアップができた地域なんですけれども、当初着の身着のままで現金も持たず避難している人も結構いるということで、行政が負担をして無料バスとして臨時路線を走らせると、こういう形態をとりました。その後徐々に回復していくに従って現在は100円運賃を頂いて、いずれは通常の運賃に戻すと、こういうような段取りになっていますけれど、非常に行政の方が力を入れて公共交通の復興を行っていった事例になります。

   
津波に破壊された市街地を走る。市が負担して臨時路線バスは当初無料に(釜石市の岩手県交通・現在は100円)  

これまで地域の生活路線の話を申し上げましたけれども、もう一つは新幹線を始めとする広域交通が寸断したことによって、これをカバーするバスが相当数の活躍をしたということです。特に被災地と中心都市を結ぶルートというのはかなり期待が大きかった部分もありまして、一番最初に復旧をしたこの盛岡~宮古間の106急行バスというんですが、これが開通した時の宮古市民の喜びはかなり大きなものがあったというふうに聞いております。同様に、仙台と石巻であるとか、あるいは仙台と気仙沼、それから福島と相馬といったような拠点間を結ぶルートが次第に復旧をしてまいります。
それから首都圏と東北を結ぶ交通手段についても新幹線が寸断している分、高速バスが果たした役割は非常に大きなものがありました。東京盛岡線ではこのように、ここには4台しか写ってませんけれども、実はこの日9台バスを連ねての運行でした。定員の多い2階建てバスなどをこちらに回すと、いうようなこともしながら輸送量を確保するというようなことで、首都圏と東北の間の輸送力はだいたい3月終わりくらいに通常の250%くらい、4月の上旬くらいで300%をこえるくらいの輸送力を確保したというふうに記録されております。

 
警察と土木の協力で国道106号が早期に復旧し、岩手県北自動車の「106急行バス」がいち早く宮古と盛岡を結んだ   新幹線の不通によって長距離高速バスが機能を拡充。各便7~8台、2階建ても合わせて運行する東京~盛岡間夜行便

それから新幹線が部分的に開通していきますので、それに従って、新幹線が行き着いた所まで臨時の高速バスを出してアクセスをするというようなかたちの輸送もかなり行われました。これは那須塩原まで新幹線が復旧をした段階で郡山との間を結んでいる高速バスですけども、こういう路線についてもかなりの利用が集中をしたものです。それから定期の高速バスも順次復旧していきます。また通常は夜行バスだけのルートに昼行バスを新幹線の代りに走らせるといったような形で臨時運行もなされました。特に大都市、仙台では高速バスにはかなり頼りにされた面がありまして、どの便も皆さんが列を作って待って、多くの人を乗せていくというようなこと、それから高速バスは緊急車両扱いになりましたので、右側の写真のようなステッカーでもって、優先的に通行できるようなかたちをとっております。
またこういうことについて、非常に国土交通省さんを中心にそれこそ即日即決の許可がおりています。私は、これはおそらく阪神大震災のときのそういったやり方の経験が活きたのではないかなと思っているんですけれども、非常に各方面の関係機関の努力があって、こういったことが実現できたのであろうと思っております。新幹線のほか、常磐線が不通だった時期に通勤需要も含めたその臨時高速バスでの輸送であるとか、通常走っていないいわゆる緊急支援バスという名前で運行された幹線系統のバスなども一時期ではありますけれどもかなりの大きな需要をカバーしております。この辺も高速バス、緊急支援バスの状況です。

 
東北新幹線の那須塩原までの運転再開に対応し、那須塩原~郡山間に運行された臨時高速バスにも利用者が集中(福島交通)   高速道路の復旧とともに高速バス・緊急支援バスは緊急車両扱いとなりステッカーが交付された(福島交通)

それからもう一つは、新潟へは上越新幹線が通常どおりにすぐに走りはじめましたので、新潟と仙台なり山形を結ぶことによって迂回ルートを構築すると、こういう考え方で強化されたのが仙台であり山形と新潟を結ぶ高速バスです。こういった形であったり、あるいは日本海側の空港が早くから使えるようになっておりましたので、日本海側の空港をバスで直結すること、あるいは仙台空港がどうしても直接被害を受けて復旧が遅くなりましたので、周辺の空港とバスで結ぶことによって航空便と併せて迂回ルートを構築するというような形の部分にもバスがかなり活用されたものです。これは仙台空港が復旧した段階での空港のなかのバス、それから空港と仙台を結ぶアクセスバスの状況です。

   
迂回ルートとしての役割を負った新潟発着の高速バスの一つ山形~新潟線(山交バス)    

今幹線輸送の部分での鉄道にかわるものについてご紹介しましたけども、もう一つは仙台都市圏という大都市の通勤通学等の需要が少し落ち着いてきた一週間後くらいから急速に伸びていきます。ところが鉄道が、地下鉄が比較的早く地下の部分だけが開通した以外はほとんど動いてない状況のなかで、非常に多数のバスが運行されて、臨時路線として多くの通勤通学輸送に、通学といっても当初は春休みの期間でしたので、主に通勤輸送向けに活躍をしております。どうしてもミヤコーグループと市営バスだけではまかないきれない部分もあったこともあり、それぞれの自治体が直接貸切バス事業者と契約して、運行したようなケースも含めていいますと、相当数のバスが仙台都市圏で運行されております。それから仙台の市営地下鉄の末端部がなかなか開通できませんでしたので、その部分については仙台市交通局が無料のアクセスバスを出すというような形での対応もしておりました。

それから、鉄道のいわゆる代行輸送の部分なんですが、鉄道会社が契約をしてバスを借り上げて、鉄道の運賃で乗せるいわゆる鉄道代行バスというのは今回の場合非常に広範囲だったこともあって、あんまり多く行われていたわけではありません。JR線の場合はある程度短区間であったり、あるいはもうしばらくで開通が見込まれるというようなところを中心に行われました。その他ひたちなか海浜鉄道ですとか、仙台空港鉄道ですとか、いくつかの私鉄・第三セクターで鉄道代行輸送が行われております。これはそれぞれJRの仙石線であったり、仙台空港鉄道の代行バスという形です。それから一時的に開通間近になってから設定をされた代行バスなども区間ごとにはいくつかありました。

 
仙台都市圏の大需要区域には鉄道不通をカバーする臨時路線バス(ミヤコーバスの仙台駅前~本塩釜間)   再開した仙台空港への臨時航空便を受ける仙台空港鉄道代行バス(手前)と仙台駅直行シャトルバス(後方)

ここまでの話は当然そのバスとしての当たり前の輸送を拡充した部分の話なんですけども、その他にバスだからこそできた輸送というのもいろいろありました。これもそれこそ多岐に渡るんですけれども、たとえば原発の避難区域への一時帰宅等につきましても、中継基地までは貸切りバスが各地域から皆さんを乗せてきて住民の皆さんを乗せてきて、で、ここで防護服を着て専用のマイクロバスで現地へ入っていくと。こういうような仕組みでバスを中心に輸送体系が組まれております。それから各地からの応援のバスが随分現地へとびました。障害者向けのバリアフリー車両による輸送であったり、あるいは医師団を輸送するもの、あるいはボランティアであるとか、行政の関係の支援に運行されたバス、貸切バスを中心に様々な輸送がありました。現地では、学校が被災をしてかなり校舎を間借りしたり、移転をしたりというようなことがあって、その送迎、特に5月以降、貸切バスの送迎のケースがかなり見られたのと、それから当初の2ヶ月間くらいは自衛隊等を中心に仮設の浴場、お風呂を設置する、そのお風呂までの送迎バスというのもかなり各地で運行されております。

 
原発避難区域への一時帰宅もバスで対応。中継基地まで貸切バスで移動し専用のマイクロバスに乗り換える   移動制約者の避難に対応して首都圏からバリアフリー車両が救援に向かった(横浜市交通局の養護学校リフトバス)

もうひとつ、ここで特記しておかなければいけないのは、多くのバス車両が津波で使えなくなりました。乗り合いバスで約50台、貸切バスで約100台近いバスが流出、大破するというようなことで、この不足した部分をどうやってまかなうかというところで、もちろんここにいらっしゃいます皆さん含め、業界一体となっての協力体制があったことが現地のバス輸送を確保したといっても過言ではないだろうと思います。特にミヤコーバスさんの場合は名鉄グループということもあって、名鉄系の各社さんから、3月の終わりぐらいの段階で次々とバスが譲渡されてまいりまして、現地でそのままのカラーで活躍をはじめました。これは気仙沼市内のまだ瓦礫が残っている地域を走る元東濃鉄道の車両なんですけども、こういった形ですとか、あるいは濃飛バスからきた車、岐阜バスから来た車といった形で外観上はほぼそのまんま、当初4月の初めくらいまでの間はいわゆる即戦力として車両を使わなければならないものですから、岐阜や飛騨のナンバーのまんまで走るというようなことも、本当に超法規措置だったと思いますけども、行われておりました。それから、そういったグループ間のやりとりだけではなくて、これは兵庫県の尼崎市から、気仙沼市へ支援の人が行ったわけですけれども、その時に尼崎市営バスで廃車になったバスをそのまま一緒に持っていって、気仙沼市に無償譲渡したものです。無償譲渡された気仙沼市は、気仙沼市を走っているミヤコーバスにそのバスを提供して、で、そのままミヤコーバスの車両として使っていると、こういうようなケースもあります。

 
宮城交通グループには名鉄グループから多数の車両が移籍した。東濃鉄道からミヤコーバスへの譲渡車(気仙沼市)   尼崎市から復興支援で気仙沼市へ無償譲渡された尼崎市交通局のノンステップバス。ミヤコーバスに無償提供

それから、日本バス協会さんが中心になって全国に呼びかけた結果、数多くの無償譲渡車両が現地の方へ譲渡されました。いちはやく対応したケースとして、これは両備ホールディングスの車両が岡山で出発式をしているところと、それから現地の岩手県大槌町でスクールバスとしてその車両が使われている両方の写真を出させていただいたんですけども、たまたま私は両方を見ましたので、こういう形で現地で活用されているということです。その他、デザインを見ていただければお分かりのように、左側はJR四国バスの車両がそのまま走っている状況、それから右側は近鉄バスの中型観光バスが宮城県の会社でそのまま走っていると。こういうような譲渡車両によって、本当に被災したバス会社が息をついているというようなところです。それから高速バスについても、正規のバスだけではとても足りないなかで、グループ会社から応援がついたり、それからいわゆる傭車で貸切バスが乗合の一部を担ったりというようなことで、この辺についても非常に柔軟な対応がなされたことが分かるかと思います。

 
宮城交通グループには名鉄グループから多数の車両が移籍した。東濃鉄道からミヤコーバスへの譲渡車(気仙沼市)   日本バス協会の呼びかけで無償譲渡され、ほぼそのままのカラーで活躍する貸切バス

最後のほうになりますが、非常に大切なことをバスをずっと記録しているなかで、見つめてまいりました。それは普段からきちんとその地域がバスというものを大切にしてないと大変なことになるよという話です。かなりマスコミにも登場しております宮城県の南三陸町というところがあります。ここは今から10年ほど前だったかと思います、正確なことは後ほど大西社長さんに伺おうと思うのですが、町のほうで、もう補助金の高いバスは要らないと、当事者の大西社長さんの方からはちょっと別の表現になるかもしれませんけど、もうバスはいらないから出てってくれと、いうような形で補助金打ち切りと、それに伴ってミヤコーバスが現地から撤退するというふうな経過をたどって、実は南三陸町はJRの気仙沼町線以外は隣りの隣接の市、町へ繋がる公共交通は一切なく、町内は白ナンバーのバスと、それから乗合タクシーでアリバイのように一日数回、その町内だけを回るような路線を走らせる、これだけが唯一の公共交通という時代が長く続いていたわけです。

ところが震災によってJRの気仙沼線が壊滅状態になりました。それによって、隣街と結ぶ交通機関が一切無くなってしまったわけです。そうやって二ヶ月ほど経ってみますと、本当にまったく公共交通がない状態で、自家用車を使えない人は本当に動きがとれないということが見えてまいりました。で、特に5月の連休あけになりますと遅ればせながら宮城県内でも高校が始まります。そうすると高校の通学手段がない、ということで地元の要望依頼がかなりミヤコーバスさんに寄せられたというなかで、ミヤコーバスさんが臨時バスという形で南三陸町と気仙沼市をむすぶバスを臨時運行を開始したわけです。丸2ヶ月ぶりの公共交通、隣街へ行ける公共交通の再開という形だったわけです。ご覧のように非常に多くの高校生が毎日利用しました。道路事情からこういう中型バスしか走らせられない状況でしたので、当初は2時間近く立ってバスに乗って行くというような状況が続いていたんですけども、それでも地域にとっては唯一の隣町へ行ける足ということで私も現地にいる子供たちやお年寄りから感謝の声を聞いております。で、ようやく9月くらいでしたか、道路事情が少し改善されて、一部幹線道路が復旧をしましたのでそれに伴って現在は大型バスに車両を交換しています。それでもいっぱいの状態で走っているというような状況なんですけれども、それでもこのバスがあることでいわば南三陸町は移動手段が確保できているということです。そういう意味でやはり最終的に頼りになったのはやはり元々この地域でノウハウを持っている事業者だったということなんですけども、やはりそういう意味で地域はこのバスの存在というものを常に意識してきちんと機能させておくことのほうが、一時的な補助金の多い少ないといったような問題よりも大切なことなんだろうと、いうことに気が付いてくれればいいなというふうに私は思っております。

 
震災から2ヵ月目にようやく隣接市町と結ぶ公共交通が復活。JR気仙沼線振替輸送を含め通学の足に(歌津駅前)   日本バス協会の呼びかけで無償譲渡され、ほぼそのままのカラーで活躍する貸切バス

最後に段々と地域も復興をしていきます。福島県だけは時間が止ったようだというふうに現地の方はおっしゃっていますけども、次第に復興が進んでいくなかで、やはり新たな街の形態の変化にあわせたバスの運行の仕方というのが必要になってまいります。仮設住宅が色々な地域に建設をされますが、仮設住宅というのが必ずしも今までのいわゆるバスの経路などと整合していない部分がありますので、これをカバーするために病院だとかスーパーなどを結ぶ仮設住宅の巡回バスというような形のものをこれは、ミヤコーバスの石巻市内のものですけども、つい今日からか昨日から、福島県のいわき市でも運行が始まっています。こういったようなものがしばらくの間は機能していくものだろうと思います。また岩手県の陸前高田市ではバスと乗合タクシーを組み合わせた形で、仮設住宅や移転した街の機能をカバーするような実証実験を行っております。陸前高田市のように先ほどの釜石市などもそうですけれども、行政のほうで公共交通を軸にしたそういった展開をしているところもありますので、これからやはりそういう取り組み方によって随分そのバスのあり方にも差が出てくるのではないかというふうに、強い行政の取り組み方、あるいは市民の考え方等によって色々な差が出てくる可能性がある問題ではないかというふうに思います。破壊されてしまった橋に仮橋ができたことで、南三陸町も今仙台と結ぶ高速バスが運行を始めています。
徐々に一歩ずつですけれども地域が復興していくなかで、やはりバスの果たしてきた役割、この半年ちょっとの間にバスが果たしてきた役割というのはちょっと紹介しきれないくらいのものが実はあるんですけども、詳しく色々お話しようと思えば本当に一時間でも二時間でも喋っちゃうくらいの中身もあるんですけれども、かけ足でちょっと見ていただきましたけども、一歩ずつ新しい段階に進むなかでバスが大きな役割を果たしてきたということをまずはご紹介させていただいてまず私の話を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございます。

 
交通不便な仮設住宅をカバーするため、仮設住宅と病院・スーパーなどを結ぶミヤコーバスの新設路線(石巻市)   陸前高田市では国の支援を得てバスと乗合タクシーを組み合わせ、仮設住宅や移転した町機能をカバーする実験を実施

横浜国立大学教授 中村文彦氏

鈴木文彦さまどうもありがとうございました。続きまして、地元のバス事業者の代表ということで本日、宮城交通の大西社長にお越しいただきましたので、大西さまの方から続いてお話を頂きたいと思います。よろしくお願いします。

宮城交通株式会社社長 大西哲郎氏

宮城交通の大西でございます。本年3月11日に発生いたしました東日本大震災の際には、国土交通省様をはじめ、日本バス協会様、更には各県のバス協会様、そして本日ご出席の各社様には、多くのご支援を頂きまして本当にありがとうございました。私どもにとりまして、皆さまのご支援がどれほど力になりましたことか、そのことが今日までの復興、復旧にむけての大きな原動力になっていることは間違いございません。遅ればせながら、ここに被災地域のバス会社を代表し、厚く御礼を申し上げます。尚、私どもは依然として厳しい経営環境にありますが、引き続き被災地の復旧、復興のために頑張りますので、ご指導をお願い申し上げます。
さて、今回の東日本大震災を経験し、私自身が思い知らされたことが2点ございます。
その一つは、安全に対する私どもの姿勢の甘さであります。今回の大震災は想定を超えた大きなものでしたが、そうした中でも、バス事業者の使命はお客様と従業員の安全を確保することであります。そうした視点で顧みますと、私どものこれまでの取り組みは、恥かしながら、その意識が足りなかったと深く反省をさせられました。
二つは、バス事業の社会的使命の重さを再認識させられたことであります。今回の震災では、JRや地下鉄が全てストップしました。そうした中、仙台駅前には、バスをご利用頂けるお客様の長蛇の列が連日のようにできました。多くのお客様が大きな荷物を背負いながら、幾度も被災地との往復にバスをご利用頂けました。こうした光景を目の当たりにし、改めて地域社会におけるバスの役割の大切さを再認識させられました。

それでは、お手元にレジュメを用意させて頂きましたので、「震災直後から現在までの状況」について報告させて頂きます。まず初めに、「被害状況」についてでありますが、宮城県バス協会加盟会社(約60社)につきましては、従業員本人の被災が7名(死亡が6名、重症が1名)ございました。バス車両が津波により94両(被害の内訳はカッコ内のとおり)流出致しました。また、施設被害は46戸(内訳はカッコ内のとおり)にも及びました。次に、宮城交通株式会社の被害状況につきましては、従業員・お客様の被災者はございませんでしたが、残念ながら、従業員の家族(同居家族)が20名(8名が死亡、12名が行方不明)犠牲になりました。また、バス車両につきましては、津波により31両(被害の内訳はカッコ内のとおり)が流出致しました。また、参考までに、営業所に止めてありました従業員の通勤用自家用車が津波により93両流出致しました。これは、大津波警報が出された際、バスを避難させている間に、自分達の車が津波に流されたものであります。
次に、「災害時の対策と対応状況」につきまして、報告させて頂きます。
まず、「震災に対する事前のマニュアル作成や訓練をどのようにしていたか」という問題についてでありますが、私どもは、非常災害時のマニュアルを「非常災害対策措置規定」、「異常気象時の措置規定」、「基準、災害対策要領」の3種を備えておりますが、定期的な訓練は実施しておらず、恥ずかしながら、周知徹底が不足していたと言わざるを得ません。但し、前年に発生したチリ地震の際には、被害が想定される沿岸部の営業所について避難場所をマニュアルに追加し、実際にバスを避難させた事が、結果的には、事前訓練になりました。次に、「震災時の対応状況」についてでありますが、震災直後は通信手段が全く機能せず、現場は管理者の判断に委ね、また、運行中の車両は、各運転士の独自判断に委ねざるをえなかったのが実情です。尚、数時間後には、通信手段として車両無線の活用を決定し、主要営業所に貸切バスを配置しました。具体的な通信方法としては、(宮城交通本社対策本部⇔各営業所間)の通信は貸切車両の無線を使用しました。また、(営業所⇔各車両間)の通信は路線バスに搭載しているMCA無線を使用しました。因みに、道路の陥没状況や渋滞情報等は、各車両の運転士からの無線連絡で収集しました。
次に、「運行中の車両、乗客への対応」につきましては、都市部の無線を有する車両の運転士には、安全を確認しつつ終点まで運行させ、以降は運転を中止し、営業所に帰営させました。尚、安全が確認できない者は、直ちに運行を中止し、安全な場所でお客様を乗せたままの状態で待機させました。

一方、郊外や郡部のMCA無線を搭載していない路線バスの運転士は、独自判断で乗客を乗せたまま高台に避難しました。因みに、通信手段のない沿岸部での大津波情報は、市町村備え付けの防災無線や警察・消防、地元のお年寄り様から得たものでした。次に、「営業所や従業員への対応」についてでありますが、まず、都市圏の営業所については、MCA無線が使用可能になると同時に、乗客・運転士および車両、施設の被災状況を確認させ、以後は営業所の指示に任せました。一方、気仙沼、石巻等の沿岸部に位置する営業所については、停泊車両を事前に指定していた避難場所に移動させました。従業員は、原則待機体制としましたが、本社営業本部は、直ちに路線情報の収集と運行路線の検討を、また、総務部は、従業員・家族の安否確認と物資調達にとりかからせました。
次に、「事前訓練は活かされたか」については、実際に訓練を実施しておりませんので言及しかねるものの、沿岸部は津波警報発生時の避難場所を過去の経験から多くの者が理解していること。また、一年前の新型インフルエンザの流行時に策定した乗務員不足時の運行体制が今回の運行計画に役立ちました。
次に、「震災直後から今日までの対応状況」についてでありますが、「緊急輸送の要請」については、国土交通省、宮城県の災害対策本部、各市町村をはじめ個別の病院にいたるまで多くの要請がありました。但し、コントロールタワーが不在で、様々な箇所からの要請に対して、どの輸送を優先させるか戸惑いました。具体的な要請内容は資料に記載のとおりでございます。次に、「生活交通の状況」についてでありますが、バスの運行再開については、燃料・道路事情・運転士要員の他、国土交通省や各地方自治体からの要請、更には保有車両の状況を勘案しつつ段階的に進めました。そうした中、震災当日の24時頃には、帰宅困難者の救援バスを仙台駅から5両程運行させました。

次に、路線バスについては、震災の翌日3月12日から休日ダイヤの6割程度の運行を再開させ、以降、段階的に便数を増やしてまいりましたが、平日ダイヤを正常化出来ましたのは、結果的に約1ヶ月後の4月18日となりました。尚、運行再開の優先順位は、被災者の移動支援や緊急患者の輸送を最優先とし、以下、路線バス→高速バス→貸切バスの順としました。また、JR不通区間の代替輸送として、過去、廃止に至らざるをえなかった当社の広域路線(各地域⇔仙台間)を自治体からの要請に基づき復活もさせました。なお、JR仙石線の代行輸送とJR気仙沼線の振替輸送については現在も行わせて頂いております。
次に、「震災前と現在のバス輸送の状況」についてでありますが、まず、路線バスの輸送力につきましては、「都市部」においては、震災前の状態にほぼ復旧しておりますものの、郊外では、被災地一部が復旧しておりません。また、系統数や便数についても同じ状況にあります。輸送人員につきましては、「都市部」においては、定期、定期外の輸送人員が震災前の水準には回復しておらず、経営的には厳しい状況が続いております。一方、郊外におきましては、特に気仙沼地区では、未だに復旧のメドさえ立っていないのが実情であります。
次に、高速バスについてでありますが、まず、輸送力については、今では震災前の状況に昼行便も夜行便もほぼ復旧致しました。系統数も同様の状況でございます。ただ、便数については、一部の昼行便がJRの不通により増便になっております。また、輸送人員については、震災の影響というよりも、むしろツアーバスとの競合による減少が色濃く出ているのが実情です。なお、東北各県と仙台間を結ぶ路線につきましては、被災地の高速料金無料化による影響が大きく出ており、減少に悩んでいるところです。

次に、「現状の課題」については、次の4点が挙げられます。その一つは、都市部・郊外とも、定期・定期外の輸送人員が震災前の状況に戻らないことです。二つは、壊滅的な被害を受けた地域における休止路線(気仙沼)の復旧にメドが全く立っていないことです。三つは、気仙沼営業所の土地が地盤沈下により手付かずの状態にあり、未だに使用不能であることです。四つは、被災地の高速道路料金の無料化は、乗客の減少と渋滞による遅延を招き、高速バス事業の体力を消耗させていることです。
次に、「震災時に事業を継続させる上で困ったこと」について報告させて頂きます。これは、今後、各社がBCP計画を立てられる上で参考になればと思い、報告をさせて頂きます。その一つは、震災直後は、通信手段が全く機能せず業務指示が滞ったことです。予備電源の必要性を痛感しました。行政⇔会社間、同業者間、本社⇔各営業所間の通信手段の整備が必要です。二つは、運行経路にあたる道路の安全確認が困難を極めたことです。非常災害時における道路や橋の安全確認が速やかにできる体制を構築しておくことが必要です。三つは、燃料調達に困難を極めたことです。これについては、国土交通省、東北運輸局、宮城県さらには燃料供給会社の支援を頂き、軽油については、比較的早い段階で確保できましたが、ガソリンは全く確保ができない状況でした。四つは、バス車両が津波で流出し、不足したことです。これには、日本バス協会や同業他社からの支援によりカバーすることがでました。但し、震災直後における、即座の車両支援体制の整備が必要と考えます。五つは、多くの運転士が出勤できず運行に支障をきたしたことです。原因は運転士・家族の被災、通勤用車両の津波による流出、そしてガソリン不足が挙げられます。今回の震災で私どもが採った行動は、小型バスによる送迎です。その他レンタカーやカーシェアリングを活用しました。六つは、道路渋滞が激しく、バス運行に多くの支障が出たことです。給油待ちの自動車に道路の半分が占有され、バス運行に多大な支障をきたしました。非常災害時における一般用車両の規制が必要です。七つは、運行情報のお客様への告知が困難を極めたことです。私どもは、仙台駅前を中心に案内要員を配置しましたが、こうした対応も事前に想定しておくことが必要と考えます。
最後に、大震災を経験し、教訓になったこと5点を報告させて頂きます。その一つは、マニュアル訓練は必要ですが、それより大切なのは現場の対応力です。マニュアルはあくまで最低限の基本にすぎず、想定外の事態への対応力を現場が養うことが必要で、その教育こそ大切なことだと考えます。二つは、非常災害時における車両やお客様の避難場所を事前に周知徹底しておくことです。これは特に運転士に対してでありますが、大津波警報、あるいは様々な警報が出たときに、自分のバスをどの場所に避難をさせるかを予め徹底しておくことが必要です。三つは、警報発令時には、素早い行動で避難することです。四つは、自家用車による移動は、渋滞を引き起こし、避難行動を困難にすることです。震災が起きますと一斉に自家用車で動きます。そうなりますと渋滞が発生し、身動きがとれず、津波に飲み込まれることになります。五つは、津波は繰り返し発生するため、警報が解除されるまでは絶対に高台を離れないことです。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

大西様ありがとうございました。沢山の情報と教訓のお話を頂きました。ここから討論の形で残りの時間を過ごしていきたいと思います。まず最初に、今のお二方のご報告を受けまして、中国新聞編集員の山本さまのほうから少しお話しを頂きたいと思います。

中国新聞編集委員 山本浩司氏

中国新聞の山本でございます。本日こちらにこうやってパネリストとして出席をさせていただくことになりまして、事前の準備をする段階でバスが今回の震災でどれだけ役にたったのか初めて知りました。私の不勉強ぶり、不見識を露呈するようで恥ずかしいんですが、私はこうして大西さん、それから鈴木さんのお話を伺って、これからジャーナリストとして何を大切にしていかないといけないか、改めて思い知らされたような気がします。特に大西さんのバスの役割の大切さを実感したという言葉、それから混乱の極みのなかで阪神大震災の教訓を元に即日即決の判断を国交省がした、混乱の極みのなかでこういうことが行われたというのが、何かホッとさせられる思いがいたしました。
私の方としては広島のジャーナリストでございますので、この震災について直接コメントができるわけではありませんが、今回のこのパネルディスカッションの準備をするなかで、一番強く思ったのが、バスがこんなにライフラインとして有効であれば、今、この時期にバスを大切にしておかなければ、このバスがせっかくのライフラインとしての機能を発揮できなくなるのではないかという、恐れです。皆さんのそれぞれのバス事業者の地元でもそうでしょうけれども、全国的に今バスは疲弊しています。各交通事業者さまの努力でようやっと、生き残っているというような状況ではないかと思っています。
広島県を例に挙げると、路線バスの利用のピークは昭和50年度の2億4千200万人年間だったんですが、昨年度は1億124万人と半分以下になっています。この現状は今申し上げたように多くの地方で同様だと思うのですが、バスの走行距離は昔に比べると格段に多くなっているのに、輸送人口は少しずつ減少しているというのが現状です。中国地方の例でいえば、中山間地の過疎化が路線バスを疲弊をさせていますし、多くの方が気が付いてはいないんですが、広島市のすぐ近郊の団地で人口減少が起きて、バスの便数が減る、もしくはバスが廃止され、住んでらっしゃるお年寄りが交通弱者、スーパーが撤退することによって買い物弱者になっていくという現状が広島でも起きています。じゃあこのバスをどうすればいいのか、簡単に言えば、乗って残すということが原点ですが、これが簡単にできるようであれば、今こちらにお集まりになってらっしゃる全国のバス事業者の方々がご苦労される現状はないはずです。これが難しいので、バスが大変な現状になり、それが利用者に降りかかってくるという現状ではないかと思います。
じゃあどうすればよいのか、これは簡単にはいかないというのはもう皆さんご存知だろうと思いますけども、今日のお話のなかにあったように、行政とバス事業、それと利用者が自分たちの街のバス、もしくは公共交通がどれだけ大切なのか、どうしなきゃいけないかを真剣に話し合う時期にきているんだと思います。そのためにこの全国大会の席でこのバスのライフラインとしてのセーフティネットとしての重要性が語られるというのは、私は日本のバスの業界にとってのひとつのエポックになるのではないかなと期待しております。
私たちジャーナリストも不勉強ぶりを露呈して先ほど鈴木さんからは震災のときのニュースに偏りがあったんですね、ということを言われたんですけども正にその通りでして、広島にいますと現地からの情報というのは通信社の情報が主になります。もうそれこそ滝のように溢れかえってくる情報のなかから限られた紙面に情報を入れようとするとどうしても大きな津波、そして原発というところに偏らざるを得なかった。で、今回こうしてお話を伺わせていただくことで、今、だからこそ大西社長もこちらに来られたんではないかと思うのですけども、今ここで聞いたことを私、もしくは皆さん方が地元にお帰りになって、地元のメディアに何らかの形で、こんなことがあったというのを話をしていただくチャンスを是非持っていただきたいなと思います。多分、私同様、震災地から遠く離れたメディアはこういう情報は知らないはずです。皆さん方の社報や協会報で、今回震災でこうだった、こういう苦労があったということをご掲載いただいて、それを多くのメディアに触れることによって一社でも二社でもこのバスの現状に興味を持つ、いや逆に言えば衝撃を受ける社がいれば、私はバスを見る目が変わってくるんだろうと思います。私はバスっていいなと強く思いました、いい交通機関だなと。今日は本当にここに出席させていただいてありがとうございます。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

山本様ありがとうございました。それでは地元広島電鉄の越智社長からもひとこといただきたいと思います。お願いします。

広島電鉄株式会社社長 越智秀信氏

今お話を伺っていて、山本先生もおっしゃっていましたが、テレビや新聞で見た震災の状況は決して今伺ったような話ではなく、もっと一般的なことが多かった。お二人からご説明を伺って、本当に身につまされる思いをするとともに私自身は何点か感想を持ちました。
まず第一点は、今から66年前、この地広島はたった一発の爆弾で一瞬のうちに廃墟となり、当時約130両あった電車車両のうち8割強が全壊しました。焼け野原となり、人も残っておらず、バスもまた焼け焦げていました。そのなかで当時の当社社員は、残った部品を集めてきて工場で車両を運行できるよう修理し、8月6日から3日後、長崎の被爆の日には電車が一部ですが走りだしていました。それが広島の地の復興に少なくとも心理的には非常に大きな影響を与えたと先人から伺っておりますし、今お話を伺ったバスが果たした役割と同じことがあったのだろうと思います。
二点目は恥ずかしながら、自分の会社で大西社長がおっしゃったような訓練が平時行われているだろうかと考えると、非常に身につまされる思いがいたします。9月1日、関東大震災の日は防災の日として、全国で様々な形で訓練が行われておりますが、ともすればマンネリ化し、与えられたプログラムをこなすだけになってはいないでしょうか。訓練に合わせて事業者もマニュアルを作ってはいますが、定番のものだけ作ってしまっているのではないかと思います。本当に事が起こったときに対応できるのだろうかと、私自身非常に不安に怯えております。
それから三点目は、若干細かいことになりますが、今お二人の先生からお話あったなかでも気になりましたのが、いわゆる連絡通信手段というものが、実は当社もですが、また今日お見えの方のなかでも相当数の方がそうではないかと思うのですが、一本しかない。例えば携帯電話一本しかない。阪神淡路大震災のときもそうでしたし今回もそうですが、携帯電話というのは本当にパンクしてしまうと全く機能しません。そういった意味ではデュアルモードの何かを持たせておかないと危ないなということを非常に思ったのと、それからもう一点、実際に被災した場合には、復興、復旧にあたる際に何を優先してやっていくのであろうかということです。限られた人的物的資源のなかで何を優先して順位をつけていくのか、これは自分の会社だけではなくて、行政も含めてあるいは他の輸送機関も含めて日頃から議論しておかないと本当に事が起こったときにはどうにもならないだろうなと痛感した次第でございます。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

ありがとうございました。色々なキーワードが出てきましたが、ここでもう一度、鈴木文彦さんから付け足すことがあればお願いします。

交通ジャーナリスト 鈴木文彦

今回その震災があって、広域の被災があって、かなりバスも被害を受け、そのなかで立ち上がってきた訳ですけれども、一つ言えることはやはり日常きちんとした運行ノウハウを持ってやっているバス事業者さんというのは、やはりずーっときちんとしたことをやってきたなという感想を実際に現地で見ていて私は思っているということです。それはやはり長年培われてきたものであり、例えば先ほどちょっとご紹介した岩手県交通の大船渡営業所管内で高台の操車場、立根という操車場なんですけれども、後で乗務員の方とちょっと話をしたときに聞きましたら、チリ地震の津波の警報が出たときの経験でみんなで、もう面倒くさいことは言わずに津波が来たら立根へ行けと。この一言でもうみんなそういう意識を持っていたらしいです。そういうその細かなマニュアルとか、そういうことではなくて、もう意識として「津波が来たら立根へ」この一言がいわばノウハウに繋がったんだと私思うんですけども、そういうこと、日常のそういうその意識ってすごく大切かなというふうに思っていることが一点です。
それからもう一つはやはり今越智さんのほうからもお話ございましたけれども、日常から地域とどういうその関係を作っていくかということもこれは非常に大きな要素だろうと思います。南三陸町の話なども先ほどさせていただきましたけれども、やはりそのバスが地域のなかで果たしている役割であるとかあるいは大切さのようなものは、やはりその日常自治体との間の信頼関係なりあるいはそのお互いの本音のやりとりみたいなものが出来ているかいないかでだいぶやはり違うんだろうなと。そういうことがいざ何かあった時の連携の仕方であるとか、あるいは何を優先していくかというようなことの判断であるとか、そういうことのスピードの違いにも繋がってくるかなと、いうふうに思いました。そういう意味で日常のそういった信頼関係なりあるいはノウハウの蓄積、そういったものの大切さといったものがやはり必要なんだなと感じております。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

ありがとうございました。それでは本日国土交通省自動車局旅客課長の鈴木さまにお越しいただいておりますので、ここまでの皆様の話を受けてお話しいただきたいと思います。よろしくお願いします。

国土交通省自動車局旅客課長 鈴木昭久氏

只今紹介いただきました国土交通省自動車局旅客課長の鈴木でございます。只今、パネラーの皆さんからお話ありましたように、今回の震災ではバスの公共交通機関としての必要性、重要性が再認識されたとが非常に大きかったとに感じております。ややもすると地域におけるバスの問題というのはどうしても路線の縮小ですとか、サービスの一種切り下げといった、どちらかというと対立的な概念で捉えがちだったと思いますけども、今回正しくバスが地域の足として必要不可欠だということが深く認識されたというのは非常に重要なことだったと思っております。特に東北地方ですと、マイカーの分担率も多い地域だと思いますので、公共交通たるバスの果たす役割は大きいということが色々な形で自治体の皆さん、それから利用者の皆さまにも感じていただけたというのはひとつ意義のあることだったと思っております。
また、先ほど大西社長さまからもお話ありましたように、バスが輸送機関としての位置づけだけでなく地域を支える意味での一時的な避難所的な役割ですとか、あるいは情報をきちっと伝えるための情報センター的な役割など、その地域にとって多彩な役割を果たしたということもやはり特筆すべきことだと思っております。そして鈴木先生がおっしゃられたように、地域にしっかりした路線バスあるいは貸切バス事業者さんが、きちっと根付いて活動されているということがやはり地域社会を支えるうえで極めて重要だということが強く感じられたんだと思っております。
そしてバスの一番の公共交通としての魅力は、柔軟性、機動性であります。鉄道でも航空でも海運でもそうですけれども橋が一つ落ちた、あるいは滑走路が一本動かなくなった、埠頭が一個崩れたといったらもうそこで機能が殆ど停止してしまうのに対して、バスは迂回路がある限りはどんな方法を使っても運んでいける、また、場合によっては人だけでなく荷物も運んでいくということで、そういった小回りが利いて、次々と新しいサービスが提供できるという点も非常に再認識されたんだと思っております。更に言えば、地域に留まらずに今回は日本バス協会さんをはじめ各地のバス協会さん、それから個別の事業者の皆さんの努力によって全国的に支援のネットワークができたと。車両が足りない、あるいは色々な形で足りないところは、全国で融通し合いながら対応できたということも極めて重要だと思っております。
 私ども国土交通省でも交通基本法というものを出して、この公共交通の強化というのを訴えておりますけれども、国会情勢もあって、未だ成立に至ってなくて大変ご心配かけておりますけれども、こういった公共交通の重要性をこれからも皆さんに認識していただいて、そしてまた我々も訴えていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

ありがとうございました。大分まとめに近づいてきていると思いますが、バス事業者として、これから先どういうふうにすべきなんだ、あるいは何を考えていくべきか、あるいは誰にどうして欲しい、とかも含めて、今後のバス事業の有り様について、5名のパネリストの方に順番にご意見をいただきたいと思います。最初に宮城交通の大西社長さまのほうからお願いしたいと思います。

宮城交通株式会社社長 大西哲郎氏

それでは、「復旧・復興のためのバス輸送の役割とこれからのバス輸送」について報告させて頂きます。「震災直後と震災後にバスが果たした役割」につきましては、既に話したとおりでありますが、何故、バスがそれだけの役割を果たせたかについて補足説明をさせて頂きます。非常災害時にバスが有する強みは、一つは、運行再開の立ち上がりが早く出来ることです。二つは、機動性や収容力があり、冷暖房機能(避難者のシェルター)、通信機能(無線連絡)、情報収集(テレビ)機能を備えていることです。三つは、財務的インパクトが極めて少ないことです。こうしたバスの機能を踏まえ、これからの「バス輸送に関する行政への要望」を挙げさせて頂きます。
まず、「非常災害時の輸送に関する行政への要望」については、一つは、非常災害時における通信手段を整備して欲しいことです。特に、連携が必要とされる(国・自治体⇔会社間)、(会社⇔同業他社間)、(本社⇔営業所間)の通信手段の整備が必要です。二つは、非常災害時における燃料確保体制の整備です。三つは、非常災害時における道路渋滞の緩和です。四つは、非常災害時における交通ネットワークの確立です。非常災害時における交通に関するコントロールタワーや調整役の不在は混乱を招くことになります。加えて、非常災害時における県内バス事業者間の協力体制や役割分担もルールを作る必要があると考えます。更に、隣県バス事業者間の救済対応や連携も考える必要があると考えます。五つは、非常災害時の運行に関し、行政への届出省略等の法的特例措置の明文化が必要と考えます。今回の震災時における国土交通省の柔軟な対応は、バス運行の再開を早く実現をさせることになりました。
次に、「これからのバス輸送に関する行政への要望」を挙げさせて頂きます。その一つは、バス事業の生活インフラとしての位置づけを一層、明確にして欲しいことです。今回の非常災害時のバス輸送の果たした役割を評価して頂き、バス事業の位置づけを地域社会や住民の方々に対し、明確に示して頂きたい。二つは、非常災害時におけるバス事業に求める役割を明確にし、その水準を維持できる支援をして欲しいことです。三つは、規制緩和で体力を弱めている地方バス事業者の支援強化をお願いしたいことです。四つは、地方自治体の地域交通に対する考え方を統一して欲しいことです。現状では、地域交通に対する考え方が全ての自治体で同じではなく、地域格差を生ずる可能性があります。五つは、安全に関する監督は、あくまでも国が責任をもってやって頂きたいことです。私からは以上の提言とさせて頂きます。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

ありがとうございました。続きまして広島電鉄の越智社長の方からお願いします。

広島電鉄株式会社社長 越智秀信氏

ただ今大西社長がおっしゃられたことにほぼ尽きていると思いますが、三点ほど少し角度を変えて指摘をしたいと思います。
まず第一点目、先ほども少し申上げましたが、自分の会社で作っているマニュアル等々というのはおそらく何かあったときには役に立たないのではないかという感じがいたしました。何が大事かというと、想定されたことが起こらなかったときにどうするかということが多分一番大事で、「現場力」という言葉が使われていますが、この3文字の言葉が意味するところはものすごく重いものがあり、そこをもう一度やり直さなければならないと非常に感じました。幸か不幸か広島はじめ中国地方は全国的にみますと自然災害が比較的少ないところですから、そういう意味ではガードが甘いと感じています。数年前に高速バスでバスジャックがあり、バスジャックの訓練をしようかという話は今出ておりますが、もう一度今回の震災を踏まえて自然災害あるいは人災も含めた緊急時の対応について早急にバス協会とも協力して取り組んでいきたいと思います。
二点目は、自分だけでは出来ないことについてはご協力を得ながらということになりますが、今日のお二人のお話を伺っていて、多分ここにいらっしゃる方も、今回の震災の際にバスが果たした現場における役割、それを視覚的に見る機会というのはあまり無かったのではないかと思います。そこで、本日は堀内会長もいらっしゃいますが、日本バス協会にもご協力いただき、各バス事業者あるいは各自治体に、今回の震災でバスがどういう役割を住民との関係のなかで果たしてきたか、視覚的に訴えるものを作れないかと、勝手に思っている次第です。
それから三点目は、これはもうまさにお願いになりますが、先ほども申しましたが、たとえば被災したときに、当バス車両がどこにいるかという情報を必ずしも十分把握できる状況にはありません。そういう情報を把握するためのシステム構築には結構な費用がかかりますので、その点について行政機関のご支援をいただきたいと思いますし、また道路交通に関しては、どうしてもいろいろな行政機関が関係いたしますので、緊急時のコントロールタワーをどうするかといったシミュレーションを行い、平素からその体制を作り上げていただきたいと思うのが一点でございます。
更には、先ほど自治体との関係をおっしゃいましたけれども、当社は来年の4月1日から、呉市交通局の路線を全部一括で継承することになっておりますが、それにより広島市あるいは呉市から公営交通が無くなります。公営交通は全国的に減ってきてはおりますが、公営交通をお持ちの自治体と、お持ちではない自治体とではやはり交通に関する考え方が違うと感じています。利用者から見れば、民営事業者であろうと公営事業者であろうと全く同じバスですので、利用者あるいは市民の視点から、緊急時におけるバスの役割について今一度自治体と議論を深めていきたいと思っています。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

ありがとうございました。続きまして、中国新聞編集員の山本さまの方からご提言をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

中国新聞編集委員 山本浩司氏

山本でございます。今お話にあったように、バスというのは緊急時にはシェルターにもなり、コントロールタワーにもなりという有効性があると同時に、実は都市の環境を変える力を秘めているというのを一つの例をあげてご紹介したいと思います。今広島空港とは、この会場から約40キロ離れた三原市にありますが、公共交通を使って行こうとするとルートは2つございます。まず一つはこのホテルの目の前、JR広島駅新幹線口からリムジンバスが出ておりまして、約40分くらいで到着しますし、今ひとつは市の中心部、紙屋町地区に広島バスセンターがありまして、そこから同じくリムジンバスで空港に向かうようになっています。この12月からこの路線が少し変わります。社会実験という形ではありますが、今広島駅新幹線口を起点終点としているリムジンバスを市の中心部、平和公園のあたりにホテルが点在をしているのですが、そのホテルを経由するルートに変えます。もう一つは新設ですが、ここから車で約25分くらい行ったところに広島港がございますが、この広島港付近から広島空港を結ぶバスを出します。起点終点になりますのは元宇品という海の近くのグランドプリンスホテル広島です。こちらは都心から今申し上げました約25分くらいのところにあるホテルですが、いわゆるホテルというよりもリゾート施設と言っていいぐらいの風光明媚なところに建っているホテルでございます。
単純に考えると、あ、そうか、今までバスの通ってなかった広島市の南部のホテルから空港に行けるようになるんだな、今まで宇品の港までフェリーなり高速艇で来て、そこからバスセンターもしくは広島駅に行ってリムジンバスに乗っていた島嶼部の人達が宇品から直接空港へ行けるんだな、という見方がまず第一なんですが、実は私がここで強調したいのはこのバス、ひょっとすると都市機能を変える、もしくは観光客の動線を変える可能性を秘めた社会実験になるということです。
つまり、朝早い飛行機に乗るために、ホテルに泊まらなくちゃいけないという人が、これまでは市の中心部のホテルに泊まらざるを得なかったものが、この新路線の社会実験中はリゾートホテルに泊まってそこで一泊をし、そのまま広島空港に行くことができます。このグランドプリンスホテルというのは船で宮島と直結していますので、例えば観光客の方が宮島からグランドプリンスホテルまで来る、そしてそこで一泊をし、夜景を眺め、星空を眺め、そして翌日はほとんど荷物を手で持たずにダイレクトに空港に行ける、こういう新しい流れが出てくると私は期待しています。
その為にはバス事業者もそうですが、行政も、それから我々メディアもこのバス路線が今日から走るよ、ということだけではなくて、このバス路線が走ることによってこんなに変わることをアピールしなきゃいけないと思うんです。グランドプリンスホテルさん、片道1300円のリムジンバスの料金と、一泊で数千円というプランを出していらっしゃいます。これがインパクトになって広島の観光客の動線が変わる可能性があるということを踏まえた上で、行政もバス事業者も、そして我々メディアもこの事を伝えていかなければならないなというふうに今回この席に着かせていだたいて強く思いました。提言ではないかもしれませんが、情報発信が大切であるというひとつの例としてご紹介させていただきます。
ありがとうございました。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

ありがとうございました。今のお話は情報発信が大切であるという面と、バスが地域を変えていくポテンシャルが十分あるという点でもすごく大事な例示であったかと理解しております。ありがとうございました。それではいろんな提言、ご意見、要望と出てきましたが、ここで国土交通省の鈴木さまにもう一度お願いして国の方の立場からの総括をしていただければと思います。お願いします。

国土交通省自動車局旅客課長 鈴木昭久

今いろいろご指摘いただきましたけれども、今回の震災では事業規制の弾力的な運用、それから補助につきましても輸送量の要件ですとか色々な要件を取り外したり、あるいは貸切や乗合タクシーを使ったものを含めて臨時の系統を作った場合にその臨時の系統も対象にしていくなど、事業者さんの要望に応えられるようにということで幾つか改善を図ってまいりましたけれども、またまだまだ足りない部分もあると思いますので、次年度あるいは次々年度の予算要求ですとか制度改正に向けて具体的な意見を業界の皆さんからいただいて、できることはどんどんやっていきたいというふうに考えておりますし、先ほどご指摘のありました事業規制の弾力化につきましても、ニーズに応じてある意味我々も五月雨的に対応しておりますので、改めて皆さまの意見も伺いながら整理していきたいと思っております。
また他省庁にかかる問題ですけれども、通信の問題につきましては総務省でこういった緊急輸送の協議会を作っておりまして、我々もメンバーになっております。従来からタクシー無線の関係でタクシーの方は参加されていましたが、今回日本バス協会さまにも参加していただきまして、バスについても緊急通信のあり方を取り上げていただくようにしておりますし、また、先ほどご指摘ありました交通規制をどうしていくか、あるいは燃料の優先的な確保をどうしていくか、そういったさまざまなニーズをどうやって総合調整して優先順位をつけていくかということにつきましては、内閣府と東京都が事務局として関係省庁、それから関係業界、それに関係自治体が参加して東京の直下型地震が起きた場合の帰宅困難者の対策、あるいは継続的な輸送の確保についての協議会を作って検討しております。そのなかで、具体的にどういった形で交通規制をしていったらいいのか、あるいは燃料の確保をしていったらいいのか、といった問題を今後つめていくことにしておりまして、それがひとつの雛形となって全国の地域に類推されていくような形で進めていくのかなというふうに考えております。
また、更には、バスの果たした重要な役割、それから取り組みというものが、今回の津波を受けて各自治体で防災計画の見直しとか、色々な形での地域の取り組みの見直しが順次行われていくことになると思います。我々も皆さまのご努力を周知あるいはPRさせていただいて、防災の取り組みのなかでバスの役割がきちっと位置づけられていくように努力してまいりたいと思いますので、皆さまのサイドでも、そういったことを自治体のほうにご説明いただきますようどうぞよろしくお願いいたします。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

ありがとうございました。それではだいぶお時間近づいてきましたので、最後に全体の総括もお願いして、鈴木文彦さまからお話をいただきたいと思います。

交通ジャーナリスト 鈴木文彦氏

はい、総括になるかどうかは分かりません。ただ私の用意させていただいたレジュメの最後のところにバス事業の原点からの再出発という一言が書いてあります。これは今回震災によっていわば何も無くなったところにゼロからバス事業を、バスを復旧あるいは走らせていくに当たって、本当にニーズにあわせて限られた資源のなかでいろんな制約条件のなかでバスを走らせると、これをやるときに本当に必要なところ、あるいは本当にニーズのあるところからバスを走らせるというのは正に、そのバス事業の大元の部分、その根っこの部分からの改めてのスタートであったのではないかなと。そういう意味でちょっと書かせていただいたんですけれども、今まで長年続いてきたバスが一旦その形がいわばリセットされたときに結局何をしていったかというと、本当に必要なところにバスを運行していったと、このことの意味は非常に大きいのではないかなというふうに私は思っています。そういう意味でそのバスの原点をもう一度、これ被災の地域であるかないかにかかわらず、もう一度その振り返ってみる、見直してみる、こういうチャンスにしていただけると、不幸な災害ではありましたけれども、これが一つ次の段階に活きていくのかなというふうな気がしています。
それから、今まで皆さんからもお話がありましたようにバスというのは実は今回初めて分かったことも色々あるんですが、そのへん色々私の方で用意させていただいた論文のなかにも、論文ってほどのもんじゃないんですが、書いたもののなかにもちょっと触れさせていただいていますが、いろんな可能性を実はバスっていうのは持っています。バスってこんなこともできたのか、というようなことが色々今回見えてきた部分があります。そういうものであるならば、やはり地域のなかにそれを知ってもらって、地域と一緒にいわば社会全体でこのバスを支えるというか、育てていくというような仕組みを地域のなかで作っていく、ある意味作ってもらう部分もあるし、それからそれを自分達で構築していくという部分もあると思います。とにかくそういうものを育てていくということがこれから必要なんじゃないかと、それが先ほど山本さんの方からもありました、効率だけじゃなくて、いざというときに必要なものを確保していく、あるいは大西さんのおっしゃった代替機能を確保していくということにも繋がるのではないかなというふうに思っています。実は私自身、3月11日の震災のそのときには青森におりました。新幹線の新青森駅の構内で地震にあいました。一斉に電気は止まり、青森も震度5強だか6弱だったかでしたので、一斉に鉄道は全部止まり、電気も全部止まったわけです。新青森駅にいても仕方なかったので青森駅に移動しまして、私はそこで避難所で一晩をあかしたんですけども、雪が降っていて、夕闇とともに停電していますからだんだん真っ暗になっていくなかで、実は青森地区を走っている弘南バスがですね、バスを一旦は止めたんですけども、すぐに、とにかく走らせろと。走らせるなかで状況をきちんと会社に知らせるなりして次のことを考えるから、とにかく時刻どおり走らせろという指示だったそうです。それで弘南バスが来るわけです。このため真っ暗になった街中を弘南バスのLEDの表示が五所川原とか黒石とかつけて駅構内へ入って来るわけですね。すると私の近くにいた女性が嬌声をあげたわけです、「私帰れるんだ」と。その安心感というのはですね、本当に何ものにも変えがたいものだっただろうと思います。そういうふうに思ってもらえたことだけでも、私は弘南バスがきちんと輸送を守った意味があったんだろうなというふうに思っておりまして、もちろんそれは止めるのが正しいのか、とにかく走らせるのが正しいのかこれは議論はあるところかもしれませんけれども、ただ、先ほど復活したところの話でも申し上げましたように、バスが走っていることの市民の方に与える安心感だとか頼りがいというものは非常に大きいものがありますので、これを是非みなさん意識していただいて、地域のために住民のためにバスを走らせ続けていただきたいなというふうに思います。以上です。

横浜国立大学教授 中村文彦氏

ありがとうございました。全体をお聞きまして特に印象的だったことを私の方から一言言わせていただきます。
一つ目は具体的な例として通信の話が何回か出てきましたが、私は都市交通もやっていますので、バスロケーションシステムでよく関わるんですけども、便利になるとかイライラがなくなるとか場合によっては運行管理が出るとか、どうもそうじゃなくて、災害非常事態のときにはものすごいパワーを持つと、ポテンシャルになると、こうやって考えてみると今いろんなものにお金を投じる時に費用対効果という議論が出て、効果は割と直接的なものしか見ないんですけど、少し目線を変えると違うところに便益があると、セクターが違うとことにある便益ということでクロスセクター便益という方もありますけれど、それぞれの技術というものに多面的な可能性があるという例が出てきたというのはすごく大事なことだと思いました。
そして鈴木文彦さんのお話のなかで、日常の大切さ、日頃からのノウハウの蓄積であるとか、日頃からの自治体との付き合い方っていう部分という話がありますけれど、これは専門的な英語でまたカタカナ使いますけども、ソーシャルキャピタルという言い方をします。ソーシャルキャピタルを日本語に訳すと、ちょっと変になっちゃうんで、僕らもソーシャルキャピタルと言いますけれども、日頃からいろんなことをやっているという絆の強さというのがいざというときにはものすごく動くんです。そこを例えば、避難のいろんな実態のなかでの話でも同じことが言われていますけれど、日常的につながりがあるコミュニティはやはり強いし、その後の再生能力も強いと阪神淡路の時にも示されたし、今回も示されてるし、このバス事業者と自治体との関係においてもどうもそれがあるような気がしてなりません。
私自身は今年すごく日本が大変なのに海外ほっつき歩いててですね、それでいろんなところのまた別な目線で見てきたんですけども、明らかにバスに関わる方々の意識が高い都市のバスは長続きするし、そうじゃないところはコケて、少し変な方向になっていきます。これは現場力ってお話を越智社長がされましたけれども、実際に関わっている一番トップの方から運転手の方まで、あるいはそれと関わっている行政の窓口の方がバスを支えようと、普段からいろんなことに気をまわして考えていると、それがまたソーシャルキャピタルになっていくんだろうというふうに思ってます。
そしていろんな係わりのなかで、東北地方の被災されている自治体の復興の街づくり、まず直接ということでない時もあるんですけれども、見ていくなかで、街づくりの基本的なところで、まだ色々ありますけれども、さて生活の足どうしようかという議論のなかで見ていくと、その時に相変らずバスのことを分かっていないプランナーがいたり、あるいは行政の方々のなかでもいきなりポーンとライトレールに飛びついたりっていうことがあるんですけれど、地域のバス、あるいは地域の乗り物っていうのがこういうふうになっていくんだと、それが街づくりとこうつながっていくんだという場面がこれから沢山出てくる、そのときに今度はバス事業者のみなさんが我々と一緒に、我々も街づくりのなかにやっていって、これから先の災害に強い地域を作っていく上ではバス事業者というのもそのなかのアクターの一人なんだというふうになっていけばいいと思います。
交通基本法の話が出ましたけれども、あの原点はフランスの交通基本法ですけれども、フランス、それからほとんど同じような時代に少し違うやり方で地域の交通を支えてきたドイツなんていう例を見てましても、やはりその地域の街づくりのなかに支えていくというとこで事業を司っている方々が、あるいは現場で運営している方々の意識がすごい高いということは、これやっぱりヨーロッパの交通の強さだと思ってます。そういうふうに考えますと、ここにいらっしゃるバス事業者の皆さんにお願いしたいのは是非、頑張っていただきたいと、非常に単純ですけれども。いろんな意味で頑張っていただて、これから先の日本を支えていただきたいということを、今日改めて痛感いたしました。つたないまとめではございますが、お時間がきたのでパネルディスカッションを閉じたいと思います。最後にパネリストの皆さまへの拍手を持って終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

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